motowakaの備忘録

毎度ご無沙汰いたしております

2007-01-01から1年間の記事一覧

追記

富山さんは理屈を言う人ではない だが“理屈を言わない人”は、何も考えずに感じたことだけでやっている、と決め付けてはならないだろう 理屈には整合性が求められるが、 ex)富山さんは、「作品に触れてほしい」ということをよく言う もう一度、話をひっくり返…

富山さんについて書きたいこと

ささやかなパンフレットに書ききれないぐらい書きたいことはあるような気がするけど、紙の余白がないよりも、考えをまとめる暇がないほうが深刻なり。 パステルカラーはレジスタンス? あれは「富山さんらしくない」んだそうだ(分かるけど)→“富山省三とい…

お暑うございます

ぜんぜん更新していない言い訳はしないでおきましょう。 太閤山ランドふるさとギャラリーというところで、9月15日から「富山省三展」が開催されます。しかし、この夏は暑いですね・・・。

頭の芯が熱い・・・

あさって出張に行くのに、明日の夜の夜行にするかどうかが結局決まらなかった。 というか、明日休みにして一日早く行きたくて、今日はしゃにむに働いたのに、結局休めないことになった。 せっかく行くのだから、できれば展覧会の一つも見てきたかったが、用…

ウラジオ図録への寄稿の内容(案)

過去二回の経緯 今回の富山からの参加(*1) ずっと中心になっているT夫妻への精一杯のエールを贈りたいんだけど、今回は向こうの作家との共同展で、図録も共通(*2)だそうなので、少し気張った文章が要求されるらしい。 ただ海外展に出品するというだけで…

日記以下の日常メモ

毎日何をしているのか、だんだん自分でも分からなくなってきたので、本当に日記以下のメモを書いてみようかと思います。 朝。また頭痛。このところずっとこんな感じ。熱を測るが相変わらず発熱はない。通勤の運転には若干の危険を感じるが、着いてしまって、…

寒い

外は暑いぐらいなのに、このオフィスは寒くてたまらない。ある意味スゴいです。 年度末の積み残しの仕事が延々と終わりません。何せ、ずっと「事務局の人」だったからなぁ。

どこ見て仕事してんのよぉー!!

って話を書こうと思ったんですが、明日は仕事なんで、また今度にします。(本当の備忘録)

うぉぉ・・・

印刷物の校正地獄からようやく解放!校了しましたぞ! さぁ、今度は総会屋モードに突入だぁ!(今からで大丈夫なのか、おぃ・・・)

「事務局の人」

ちょっと気分転換に、愚痴(?)を書き散らそうと、久々にここを開いてみました。 県の博物館協会というものの事務局が、うちの館にはあります。私が担当するようになってもう何年でしょう。 毎年3月に年度末の理事会、4月末に理事会と総会があるのですが、…

能登半島沖地震

輪島のほうではお亡くなりになった方もおられたそうで、お悔やみ申し上げます。 当地では震度5弱だったそうです。ちょうど職場におりましたが、事務所のある別館の揺れはけっこう大きく感じられ、「これは一大事」と別館の火の元、戸締りだけを確認して本館…

五島健三のスケッチブックについて

なかなか書けなかったんですが、五島健三のスケッチブックは実に興味深いものです。少し画像を交えてご紹介してみます。 これらは五島が鹿児島師範学校の宿直室で描いたもののようです。野菜を描いた作品には「昭和三年四月十九日」と日付が見えます。春蘭を…

やれやれ・・・

今日は、某新聞に寄稿する文章を書いていたら、一日暮れていきました。字数制限というのは、どうも苦手であります。やっぱりプロではないんだろうな、とため息が出ます。ここに載せようかと思いましたが、紙面に出てからにすべきでしょうね。

南薫造宛の書簡について

今日は、あるお宅へ五島健三についての貴重な資料を見せていただきにお邪魔したのですが、そこで「motowakaというブログを書いてっらっしゃるのでは?」と奥様よりお尋ねがあり、冷や汗あぶら汗でありました。こういうものを書いていると言うことは、実は館…

近ごろみた展覧会いくつか

もう少し、気楽に書けるようにしないと、足が遠のいてしまいます。(*1) いくつか、見た展覧会で感想が書きたかったものもあったんですが、すっかり日が経ってしまって、今さら感が強く。見に行った順番もよく分からなくなっちゃいました。 釣谷幸輝さんの…

三輪幸之助

京都府出身。慶応元年(1865)〜明治24年(1891)。 明治11年より家父に写真術を学ぶ傍ら、小山三造に就き、鉛筆画、容器画法を修める。明治14年京都府画学校西宗に入学するが、小山の辞任に従って同年退学。明治17年小山の画塾を卒業。明治18年京都府博覧会に油…

牛歩牛歩・・・

京都府画学校の関係者だけでも、少しずつでも書き留めておきたいと。でもこの人は、富山県の関係者の中ではちょっと異色の経歴なのですよね。

田部英嘉が洋画を志したきっかけは?

そういうわけで、少し最初の頃に書いていたメモに書き足しをしておりましたら、田部英嘉が洋画を学ぼうと京都へ出奔した明治18年頃は、京都府画学校西宗を卒業した北村森之助や森屋熊夫が、旧制富山中学校や富山師範学校に赴任してきた時期と見事に重なって…

参考にさせていただいている本のことなど

はてなダイアリーは後から書き足したりするのには大変便利なのですが、とりあえず最初に記事をエントリーするときに、書きかけで置いておくやり方があまりうまくなくて、どうしたものか、早く慣れなくちゃな、と思っているところです。 それはさておき少なく…

田部英嘉の簡単な年譜(一部は推測)

年 田部家など その他関係事項 天保3年頃(1832) 富山市山王町の富山藩士、田部文五郎の子として、父、英貞が生まれる。 天保10年(1839) 富山藩士山田家の娘として、母、ゆきが生まれる。 英貞、富山県上新川郡奥田村(現 富山市)の田地を譲り受けて分家…

田部英嘉について分かっていることのまとめ

これまでの経緯 田部英嘉と「とやまの洋画史」調査 田部英嘉の概要が、ほぼ明らかになりました 未整理のメモ 以下は、ラフカディオ・ハーンの伝記作者として知られる英文学者、田部隆次が、晩年に口述した内容を書き留めた手記を元にした記載です。一部、未…

田部英嘉の概要が、ほぼ明らかになりました

関連:田部英嘉と「とやまの洋画史」調査 本日、田部英嘉(*1)の作品をようやく実見してくることができました。 そして関連資料を調べさせていただき、富山県人として最初に本格的に洋画を学んだ人物と思われる彼が、そもそも何者で、どこから現れてどこへ…

富山師範学校の沿革を大幅に改稿

先日書いた記事があまりにいい加減だったので、信頼の置ける資料を参照して、大幅に加筆修正しました。 富山県の置県と富山師範学校の簡単な沿革 - motowakaの備忘録 ダメな私です。 でも、いい勉強になりました。

富山県の置県と富山師範学校の簡単な沿革

以上の三人は、京都府画学校を卒業した森屋熊夫が富山に来るまでの赴任教師たちです。一見して金沢ゆかりの人たちが多いのが目に付きますが、それもそのはずで、富山県が現在のようなかたちで置県されたのは明治16年(1883)、石川県の一部だったり、紆余曲折…

宮野東洋

安政元年(1854)〜昭和13年(1938) 旧石川県士族。明治8年5月石川県師範学校に入学して笠井喜佐吉に学び、11月小学師範学科卒業。9年3月〜5月同校訓導、石川県富山師範学校(当時)訓導(兼務?)。10年頃笠井が開いた洋画塾「技術舎」で学ぶ。16年1月〜5月石…

宮北於蒐生

英国人ピースタルデーに油画、福岡清一郎に罫画、鈴木華村(=華邨、宗太郎、惣太郎。石川県工業学校教員)に四条派、青山観水(忠次。石川県師範学校、同工業学校、金沢女学校等の教員)に南画を学ぶという。石川県師範学校を明治15年5月に卒。富山への赴任…

中村清古(栖霞)

弘化3年(1846)〜不詳。 富山桃井町に住し、木村立嶽、稲垣碧峯、前田半田らに学び、洋画は千石嘉佐吉に師事したという。文人南画を得意とし、明治9年石川県第二師範学校(当時)書画教授、同16年富山県学務課御用係、絵画共進会委員を務めたといわれる。在任期…

追悼・鶴谷登先生

403 Forbiddenより 鶴谷登氏(高岡)が死去、66歳 独自の抽象版画確立 2007年01月08日洋画家の鶴谷登(つるたに・のぼる)氏が七日午前二時三十六分、心筋梗塞(こうそく)のため高岡市民病院で死去した。六十六歳。自宅は高岡市伏木本町一七ノ二〇。通夜…

安岡信義

この略歴は、磯江哲昭氏による「色と光を求めた画家 安岡信義」(『郷土と博物館』第39巻第2号 平成6年 鳥取県立博物館)の内容を基にして編集しました。富山での業績についての調査が行き届いておらず、恥ずかしい限りですが、今後でき得る限り補記・追記を…

富山県の「年齢3区分」別人口の推移

統計情報ライブラリー 富山県の統計調査課の発表です。表1が興味深かったのでメモしておきます。 まあ人口がすべてではないのは言うまでもありませんが、突出して目に付いたのは、昭和22年の年少人口(16.9%)、生産年齢人口(20.4%)の増減率急増のような…