田部英嘉の簡単な年譜(一部は推測)
年 | 田部家など | その他関係事項 |
天保3年頃(1832) | 富山市山王町の富山藩士、田部文五郎の子として、父、英貞が生まれる。 | |
天保10年(1839) | 富山藩士山田家の娘として、母、ゆきが生まれる。 | |
英貞、富山県上新川郡奥田村(現 富山市)の田地を譲り受けて分家、帰農し平民となる。 | ||
元滋元年(1864) | のちに画友となる矢野倫真が、金沢に生まれる。 | |
不詳 | 田部英貞・ゆき夫妻の長男として、田部英嘉が生まれる。 | |
少年のときより絵を好む。 | ||
明治10年(1877) | 師範学校を辞した岡田呉陽が、清水村に漢学塾を開く。 | |
岡田呉陽の漢学塾に学ぶ。 | ||
姉、やすが島田家に嫁す。 | ||
明治13年(1880) | 京都府画学校が開校する。東西南北の四宗を置く。 | |
明治14年(1881) | 12月10日、父、田部英貞が亡くなる。 | |
明治17年(1884) | 7月、北村森之助が富山中学校に赴任(〜19年2月) | |
明治18年(1885) | この頃、絵を学ぶために遠く遊学したいという熱望が「許されない」と考え、書置きを残して京都へ走る。 久保田米僊(日本画家)を保証人として京都府画学校に入学、洋画を学ぶ。 旧富山藩士で奥田村に帰農した杣田家の娘を娶るが、間もなく離縁となる。 伯父山田家の親戚筋にあたる渡辺家の娘を娶る。 |
1月、森屋熊夫、富山師範学校に赴任(〜20年4月)。 この年、岡田呉陽、没す。 |
明治19年(1886) | 矢野倫真、京都府画学校に入学、洋画を学ぶ。田部英嘉と交友する。 | |
明治21年(1888) | 7月30日、田部英嘉、チフスのため没す。 | 2月、矢野倫真、京都府画学校卒業。3月、富山県尋常中学校教師として赴任。 |