motowakaの備忘録

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三輪幸之助

京都府出身。慶応元年(1865)〜明治24年(1891)。
明治11年より家父に写真術を学ぶ傍ら、小山三造に就き、鉛筆画、容器画法を修める。明治14年京都府画学校西宗に入学するが、小山の辞任に従って同年退学。明治17年小山の画塾を卒業。明治18年京都府博覧会に油画を出品し銅牌受賞。同年より京都市内小学校で教える。翌年11月京都府画学校出仕を命じられるが、12月上京、明治20年1月彰技堂に入門、本多錦吉郎に就く。同年5月文部省教員検定尋常中学校図画科教員試験合格。同9月富山県尋常師範学校図画教員として赴任し、23年10月辞任まで在職。同年11月第三高等中学校(京都)助教授に任じられるが、明治24年死去。翌年、守住勇魚、小山三造らの発起により亡霊祭を兼ねた展覧会が開催されたと云う。(*1

  • 京都府画学校から富山に赴任してきた他の人々と違い、田村宗立ではなく、小山三造に師事した人。
  • 画学校は退学したが、のちに出仕を命じられる。
  • 文部省の教員検定合格が明治20年。
  • 第三高等中学校は、のちの第三高等学校で、京都大学の前身の一つです。

*1:参考:金子一夫『近代日本美術教育の研究―明治時代―』(平成4年 中央公論美術出版)p.546,549。遺作展についての情報は別の出典ですが、後日追記します。