日記以下の日常メモ
毎日何をしているのか、だんだん自分でも分からなくなってきたので、本当に日記以下のメモを書いてみようかと思います。
- 朝。また頭痛。このところずっとこんな感じ。熱を測るが相変わらず発熱はない。通勤の運転には若干の危険を感じるが、着いてしまって、何やかやと働いている間に少しずつ良くなる。このところずっとこんな感じ。
- メールチェック。「掲示板」チェック。今日は面倒そうなものはなかった。(*1)
- 美術館と博物館協会のホームページのリンクが切れていないかチェック。(*2)
- 映像アーカイヴの保守業者と機器のトラブル対応。今年度から業者が替わったので不慣れだが、その分「こんなものどうにもならない」というあきらめがないのは嬉しい。(*3)
- 3月末にはできていなければならなかった「年報」の原稿をようやく仕上げる。正直怖かったが、やっと担当に渡すことができた。が、チェックの結果、1箇所、展示リストを忘れており、がっくり。
- 先日亡くなったK先生の遺作寄贈の件で、間に入ってくれているC美術館のW氏から回答の督促。購入すれば数千万円の作品なのに、「大きすぎる」と伏目がちな同僚多数。川向こうの美術館のY副館長に電話で相談。
- 昼休みもそこそこに午後イチで川向こうまで行き、S先生遺作の写真を見せる。背中を押してくれた。感謝。「行列」を見ていけと言われる。噂には聞いていたが、これは一体何事なのか。正直、まったく理解できない。
- 某「検討委員会」の準備会議。担当が“あの人”ではうまく行かないのをみんな分かっているのにどうにもならない。「徒労」に終わるための資料を精一杯整えるだけか。
- 人が集まったのを機会に、遺作寄贈の話を精一杯プレゼン。「購入凍結」の中でこんな機会を逃したら、この美術館らしい新収蔵作品などはもはや望むべくもない。苛々を抑えるのに苦しむが、コンセンサスを得られ、一安心。残る関門は“あの人”。
- 間が空くと嫌気がさすので、一気に頂上決戦。とぼけて可も不可も口にしないのには苛立ったが、反対のないのは承認と解す。即、W氏に連絡。善意の申し出に責任を果たすことができ、やっと安心できた。これからの手続きが厄介だが。(*4)
- 忘れ物だった展示リストを仕上げる。(一部、詳細を記すべきところを、分かっていながら手抜きしてしまった。会場で調べれば分かることなのに、徒歩数分の本館が遠い。)
- 某「検討委員会」の資料を手直し。WORDは使いにくい。とにかく手間がかかる。HTMLに慣れてしまうと、そっちのほうが楽に思えてしまうところが可笑しい。
- 寄贈受け入れの書類作成。相手先が急いでいるので焦ってやっているが、本当はキャッチボールしながらやるべきことを先行してやるのは、リスキーだとも思う。またストレス。
- 6月末にウラジオストクで開かれるビジュアルアートビエンナーレに参加される、作家のT氏夫妻が来館。図録への寄稿を依頼される。本当に私でいいのかと確認するが、過去二回の縁があるので断りきれない。字数は決して多くないが、何を書けばいいのか今ひとつ曖昧で、毎度困る。が、やむを得まい。
- 次の展覧会の図録に掲載される作品解説の分担があったのを思い出す。締め切りまであと一週間ぐらいしかない。あわてて資料集めからはじめなければ。ウラジオのための原稿は今月いっぱいだし、どうしようかと思ったが、そちらは後回しにする。
- 来春、回顧展を担当するK先生の個展は20日まで。早く上京予定を決めねばならないのに、今日も電話できなかった。恩師の個展が12日から横須賀で始まるので、併せてオープニングに行きたかったけれど、12日には組合も入ってしまって、結局断念するしかない。
書き出してみると、ぐちゃぐちゃに混乱しているのがよく分かる。先を見て計画を立てないとならないのに。
次の展覧会の集荷か返却で、田部英嘉と矢野倫真の作品をお預かりしてくる予定だったのに、その調整も何もできていないじゃないか!
もう一つ、埼玉在住の方から受けている、立山連峰を描いた昭和15年ごろの作品の調査もある。上京する機会があったら、実際に一度見に行きたいのだが。何も調べられていないのに、どの面下げて見にいけるんだ?
そういえば、掲示板に「脳ドッグ」の案内が出ていて、申し込みしようかと少し迷った。自己負担2万円というのを読んであきらめたけど、どうも健康に不安がある。ただの風邪だと思うんだけど!