motowakaの備忘録

毎度ご無沙汰いたしております

2007-01-01から1ヶ月間の記事一覧

田部英嘉の概要が、ほぼ明らかになりました

関連:田部英嘉と「とやまの洋画史」調査 本日、田部英嘉(*1)の作品をようやく実見してくることができました。 そして関連資料を調べさせていただき、富山県人として最初に本格的に洋画を学んだ人物と思われる彼が、そもそも何者で、どこから現れてどこへ…

富山師範学校の沿革を大幅に改稿

先日書いた記事があまりにいい加減だったので、信頼の置ける資料を参照して、大幅に加筆修正しました。 富山県の置県と富山師範学校の簡単な沿革 - motowakaの備忘録 ダメな私です。 でも、いい勉強になりました。

富山県の置県と富山師範学校の簡単な沿革

以上の三人は、京都府画学校を卒業した森屋熊夫が富山に来るまでの赴任教師たちです。一見して金沢ゆかりの人たちが多いのが目に付きますが、それもそのはずで、富山県が現在のようなかたちで置県されたのは明治16年(1883)、石川県の一部だったり、紆余曲折…

宮野東洋

安政元年(1854)〜昭和13年(1938) 旧石川県士族。明治8年5月石川県師範学校に入学して笠井喜佐吉に学び、11月小学師範学科卒業。9年3月〜5月同校訓導、石川県富山師範学校(当時)訓導(兼務?)。10年頃笠井が開いた洋画塾「技術舎」で学ぶ。16年1月〜5月石…

宮北於蒐生

英国人ピースタルデーに油画、福岡清一郎に罫画、鈴木華村(=華邨、宗太郎、惣太郎。石川県工業学校教員)に四条派、青山観水(忠次。石川県師範学校、同工業学校、金沢女学校等の教員)に南画を学ぶという。石川県師範学校を明治15年5月に卒。富山への赴任…

中村清古(栖霞)

弘化3年(1846)〜不詳。 富山桃井町に住し、木村立嶽、稲垣碧峯、前田半田らに学び、洋画は千石嘉佐吉に師事したという。文人南画を得意とし、明治9年石川県第二師範学校(当時)書画教授、同16年富山県学務課御用係、絵画共進会委員を務めたといわれる。在任期…

追悼・鶴谷登先生

403 Forbiddenより 鶴谷登氏(高岡)が死去、66歳 独自の抽象版画確立 2007年01月08日洋画家の鶴谷登(つるたに・のぼる)氏が七日午前二時三十六分、心筋梗塞(こうそく)のため高岡市民病院で死去した。六十六歳。自宅は高岡市伏木本町一七ノ二〇。通夜…

安岡信義

この略歴は、磯江哲昭氏による「色と光を求めた画家 安岡信義」(『郷土と博物館』第39巻第2号 平成6年 鳥取県立博物館)の内容を基にして編集しました。富山での業績についての調査が行き届いておらず、恥ずかしい限りですが、今後でき得る限り補記・追記を…

富山県の「年齢3区分」別人口の推移

統計情報ライブラリー 富山県の統計調査課の発表です。表1が興味深かったのでメモしておきます。 まあ人口がすべてではないのは言うまでもありませんが、突出して目に付いたのは、昭和22年の年少人口(16.9%)、生産年齢人口(20.4%)の増減率急増のような…