motowakaの備忘録

毎度ご無沙汰いたしております

田部英嘉が洋画を志したきっかけは?

そういうわけで、少し最初の頃に書いていたメモに書き足しをしておりましたら、田部英嘉が洋画を学ぼうと京都へ出奔した明治18年頃は、京都府画学校西宗を卒業した北村森之助森屋熊夫が、旧制富山中学校や富山師範学校に赴任してきた時期と見事に重なっているじゃないかという、当然気付くべきことを見落としておりました。
「三歩進んで二歩下がる」というよりは「一歩前進二歩後退」というような按配で、しょうがない牛歩の進行を続けていますが、このあたりも何か繋がりが見出せればいいなと思っております。英嘉自身は富山中学校や師範学校で学んだということはないようなのですが、英嘉のいとこに当たる田部邦次郎という人物(英嘉は分家の長男、邦次郎は本家の次男)がちょうどこの明治18年頃に師範学校を卒業しているようです。(*1

*1:富山県学事通報第一号』に記載があると、Shakesさんにご教示いただきました。いつもありがとうございます。