motowakaの備忘録

毎度ご無沙汰いたしております

2006-01-01から1年間の記事一覧

五島健三

富山県出身者として最初に「文展」に入選した画家でありながら、誰も調べる人がいなかったので、久しく歴史の谷間に沈んでしまっていた人物です。(実に申し訳ないことです。) 五島健三(ごとうけんそう・1886-1946) 明治19(1886)年 0 富山県南砺市(旧福野…

クリスマスの美術館

今日の近代美術館は子どもたちのイベントで大賑わいでした。 クリスマスは子どもたちのためのもの。・・・「いつも静かな美術館」を期待して、デートコースに選んだアベックの皆さんにはお気の毒でした。(苦笑) 観察しておりますと、子どもたちをイベントに…

北村森之助が富山中学校を辞職した理由

「とやまの洋画史入門編」図録では、北村が富山中学校を短期間で辞した理由について、当時の旧制中学校で頻発した学生の同盟休校(ストライキ)による全職員の引責辞任のあおりを受けたのではないかと推測しましたが、shakes氏の論文(*1)を拝見して、これ…

「富山油画会」について(明治19年の新聞記事より)

前の記事の続きです。なおこれらの内容については、富山県立近代美術館企画展「とやまの洋画史入門編」(2005年)図録にも掲載されています。 『中越新聞』明治19年4月19日付 記事 ○洋画研究会 北村松仙氏等の発企に係る同会へ加入する者少なからず、追々(お…

森屋熊夫

(*1) 文久2(1862)年〜明治38(1905)年。岡山県出身。原憮松とともに岡山の平野雄也らに学ぶ。明治14年京都府画学校西宗入学、明治17年1月卒業。明治18年1月富山県師範学校に赴任。明治19年「富山油画会」の設立に関与するが同20年4月鳥取県師範学校に転…

北村森之助(松仙)

(*1) 生没年不詳。岐阜県出身。明治17年7月京都府画学校東宗(一説に西宗とも)卒。(*2)同年9月から12 月までの短期間、愛知県第一師範学校在職の後、新設された旧制富山中学校に赴任。在任期間は明治17年7月から19年2月まで(*3)。明治19年「富山油画…

「富山油画会」について(明治19年の新聞記事より)

(*1) 「とやまの洋画史入門編」(2005年 富山県立近代美術館)の開催にあたり、事前調査として北日本新聞社の協力により、同社の前身である『中越新聞』(明治18年創刊)を調べたところ、明治19年に富山で油画の展覧会が開催されていたことが分かりました。 …

田部英嘉と「とやまの洋画史」調査

今、一番深い関心を持って調べているのは、「田部英嘉」という洋画家のことです。 この画家、京都の洋画の草分け、田村宗立*1の画塾「明治画学館」の名簿に「越中国下新川郡奥田村」の人として、その名を記されている人物なのです。 最近、ある方から情報提…

米田昌功 はじまりの場所(ギャラリーNOW)

今日は米田昌功さんの個展*1を見ました。展評ではなく、書きなぐりの感想メモのようなものですが、印象を記しておきます。 米田さんは、富山の現代作家。立山曼荼羅のような独特の日本画を描くかたです。もう7年ほども前になりますが、「公募:日本海美術展…

はじめに

とりあえず、はじめてみることにします。 私は、美術館で働いていますが、公式ホームページでは自分の関心があることについて、勝手にいろいろ書くわけには行きません。けれど、最近はいろいろなことをインターネットで発信していなければ、逆に十分な情報も…