motowakaの備忘録

毎度ご無沙汰いたしております

田部英嘉の簡単な年譜(一部は推測)

年 田部家など その他関係事項 天保3年頃(1832) 富山市山王町の富山藩士、田部文五郎の子として、父、英貞が生まれる。 天保10年(1839) 富山藩士山田家の娘として、母、ゆきが生まれる。 英貞、富山県上新川郡奥田村(現 富山市)の田地を譲り受けて分家…

田部英嘉について分かっていることのまとめ

これまでの経緯 田部英嘉と「とやまの洋画史」調査 田部英嘉の概要が、ほぼ明らかになりました 未整理のメモ 以下は、ラフカディオ・ハーンの伝記作者として知られる英文学者、田部隆次が、晩年に口述した内容を書き留めた手記を元にした記載です。一部、未…

田部英嘉の概要が、ほぼ明らかになりました

関連:田部英嘉と「とやまの洋画史」調査 本日、田部英嘉(*1)の作品をようやく実見してくることができました。 そして関連資料を調べさせていただき、富山県人として最初に本格的に洋画を学んだ人物と思われる彼が、そもそも何者で、どこから現れてどこへ…

富山師範学校の沿革を大幅に改稿

先日書いた記事があまりにいい加減だったので、信頼の置ける資料を参照して、大幅に加筆修正しました。 富山県の置県と富山師範学校の簡単な沿革 - motowakaの備忘録 ダメな私です。 でも、いい勉強になりました。

富山県の置県と富山師範学校の簡単な沿革

以上の三人は、京都府画学校を卒業した森屋熊夫が富山に来るまでの赴任教師たちです。一見して金沢ゆかりの人たちが多いのが目に付きますが、それもそのはずで、富山県が現在のようなかたちで置県されたのは明治16年(1883)、石川県の一部だったり、紆余曲折…

宮野東洋

安政元年(1854)〜昭和13年(1938) 旧石川県士族。明治8年5月石川県師範学校に入学して笠井喜佐吉に学び、11月小学師範学科卒業。9年3月〜5月同校訓導、石川県富山師範学校(当時)訓導(兼務?)。10年頃笠井が開いた洋画塾「技術舎」で学ぶ。16年1月〜5月石…

宮北於蒐生

英国人ピースタルデーに油画、福岡清一郎に罫画、鈴木華村(=華邨、宗太郎、惣太郎。石川県工業学校教員)に四条派、青山観水(忠次。石川県師範学校、同工業学校、金沢女学校等の教員)に南画を学ぶという。石川県師範学校を明治15年5月に卒。富山への赴任…

中村清古(栖霞)

弘化3年(1846)〜不詳。 富山桃井町に住し、木村立嶽、稲垣碧峯、前田半田らに学び、洋画は千石嘉佐吉に師事したという。文人南画を得意とし、明治9年石川県第二師範学校(当時)書画教授、同16年富山県学務課御用係、絵画共進会委員を務めたといわれる。在任期…

追悼・鶴谷登先生

403 Forbiddenより 鶴谷登氏(高岡)が死去、66歳 独自の抽象版画確立 2007年01月08日洋画家の鶴谷登(つるたに・のぼる)氏が七日午前二時三十六分、心筋梗塞(こうそく)のため高岡市民病院で死去した。六十六歳。自宅は高岡市伏木本町一七ノ二〇。通夜…

安岡信義

この略歴は、磯江哲昭氏による「色と光を求めた画家 安岡信義」(『郷土と博物館』第39巻第2号 平成6年 鳥取県立博物館)の内容を基にして編集しました。富山での業績についての調査が行き届いておらず、恥ずかしい限りですが、今後でき得る限り補記・追記を…

富山県の「年齢3区分」別人口の推移

統計情報ライブラリー 富山県の統計調査課の発表です。表1が興味深かったのでメモしておきます。 まあ人口がすべてではないのは言うまでもありませんが、突出して目に付いたのは、昭和22年の年少人口(16.9%)、生産年齢人口(20.4%)の増減率急増のような…

五島健三

富山県出身者として最初に「文展」に入選した画家でありながら、誰も調べる人がいなかったので、久しく歴史の谷間に沈んでしまっていた人物です。(実に申し訳ないことです。) 五島健三(ごとうけんそう・1886-1946) 明治19(1886)年 0 富山県南砺市(旧福野…

クリスマスの美術館

今日の近代美術館は子どもたちのイベントで大賑わいでした。 クリスマスは子どもたちのためのもの。・・・「いつも静かな美術館」を期待して、デートコースに選んだアベックの皆さんにはお気の毒でした。(苦笑) 観察しておりますと、子どもたちをイベントに…

北村森之助が富山中学校を辞職した理由

「とやまの洋画史入門編」図録では、北村が富山中学校を短期間で辞した理由について、当時の旧制中学校で頻発した学生の同盟休校(ストライキ)による全職員の引責辞任のあおりを受けたのではないかと推測しましたが、shakes氏の論文(*1)を拝見して、これ…

「富山油画会」について(明治19年の新聞記事より)

前の記事の続きです。なおこれらの内容については、富山県立近代美術館企画展「とやまの洋画史入門編」(2005年)図録にも掲載されています。 『中越新聞』明治19年4月19日付 記事 ○洋画研究会 北村松仙氏等の発企に係る同会へ加入する者少なからず、追々(お…

森屋熊夫

(*1) 文久2(1862)年〜明治38(1905)年。岡山県出身。原憮松とともに岡山の平野雄也らに学ぶ。明治14年京都府画学校西宗入学、明治17年1月卒業。明治18年1月富山県師範学校に赴任。明治19年「富山油画会」の設立に関与するが同20年4月鳥取県師範学校に転…

北村森之助(松仙)

(*1) 生没年不詳。岐阜県出身。明治17年7月京都府画学校東宗(一説に西宗とも)卒。(*2)同年9月から12 月までの短期間、愛知県第一師範学校在職の後、新設された旧制富山中学校に赴任。在任期間は明治17年7月から19年2月まで(*3)。明治19年「富山油画…

「富山油画会」について(明治19年の新聞記事より)

(*1) 「とやまの洋画史入門編」(2005年 富山県立近代美術館)の開催にあたり、事前調査として北日本新聞社の協力により、同社の前身である『中越新聞』(明治18年創刊)を調べたところ、明治19年に富山で油画の展覧会が開催されていたことが分かりました。 …

田部英嘉と「とやまの洋画史」調査

今、一番深い関心を持って調べているのは、「田部英嘉」という洋画家のことです。 この画家、京都の洋画の草分け、田村宗立*1の画塾「明治画学館」の名簿に「越中国下新川郡奥田村」の人として、その名を記されている人物なのです。 最近、ある方から情報提…

米田昌功 はじまりの場所(ギャラリーNOW)

今日は米田昌功さんの個展*1を見ました。展評ではなく、書きなぐりの感想メモのようなものですが、印象を記しておきます。 米田さんは、富山の現代作家。立山曼荼羅のような独特の日本画を描くかたです。もう7年ほども前になりますが、「公募:日本海美術展…

はじめに

とりあえず、はじめてみることにします。 私は、美術館で働いていますが、公式ホームページでは自分の関心があることについて、勝手にいろいろ書くわけには行きません。けれど、最近はいろいろなことをインターネットで発信していなければ、逆に十分な情報も…