motowakaの備忘録

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北村森之助(松仙)

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生没年不詳。岐阜県出身。明治17年7月京都府画学校東宗(一説に西宗とも)卒。(*2)同年9月から12 月までの短期間、愛知県第一師範学校在職の後、新設された旧制富山中学校に赴任。在任期間は明治17年7月から19年2月まで(*3)。明治19年「富山油画会」の設立に関与するが明治21年3月、郷里の岐阜県師範学校に転任(岐阜中学校兼務)。明治22年7月明治美術会の通常会員になっている。以後、明治23年森屋熊夫の後任として鳥取県師範学校、明治39年長崎県立女学校(明治41年まで在職)に順次転任、期間は不明ながら明治44年には三重県立高等女学校に在職。(*4

関連記事→北村森之助が富山中学校を辞職した理由

*1:参考:金子一夫『近代日本美術教育の研究―明治時代―』(平成4年 中央公論美術出版)P.546,549,569,571,578,583,591,592,642-645,711,712

*2:参考:京都市立美術工芸学校一覧 北村森之助卒業の記事

*3:在任期間は21年3月までとも言われる。「関連記事」を参照ください。

*4:追記:北村森之助と彼がいた頃の富山教育界の状況について、shakes氏より貴重なご教示をいただき、これに基づき、一部記載を改めました。深く感謝申し上げます。参照→SHAKES' Tables 「研究ノート:私立富山英語学校について」