motowakaの備忘録

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「日本近代洋画のあけぼの」展(高岡市美術館)

この展覧会こそは今秋、高岡市美術館で開催されると聞いて以来、一人の洋画ファンとして、実際に見るのを楽しみに待っていた企画である。
「日本近代洋画のあけぼの」は、江戸から明治へという時代の激動期に、正面から向き合った画家たちの、いわば魂の遍歴を示す展覧会である。何と県内で、これらの貴重な作品を目にできる好機に私は興奮せずにはいられないし、富山の人々に、洋画史の面白さを知ってもらう好機となろう。
今春、近代美術館で開催された「日展100年」展では、明治40年の文展開設以後の近代美術の流れを一望に示して好評を博した。だが日本での近代美術成立の、よりダイナミックな局面は、むしろ文展開設以前の展開にある。
この時期の美術が紹介される機会が少ないのは、とにかく作品が希少な点も大きな理由だ。とりわけ最近まで、その全貌が秘められていた山岡コレクションは、“明治の洋画”ファンにとってはまさに垂涎ものの「幻のコレクション」なのだ。
今回初めて目にしたその内容が、司馬江漢の「風景」から始まっていたことには感心した。江戸末期に蕃書調所で文献を頼りとして、まさに手探りで洋風画の研究を始めていた彼らから近代洋画は胎動を始める。高名な高橋由一もその流れに属す画家である。「鮭図」が重要なのは言うまでもないが、洋画史上に名高い作品としては「丁髷姿の自画像」も見逃すことはできない。
多くの日本人に洋画の技術を伝えたワーグマンの作とされる「東禅寺浪士乱入図」は史料としても貴重だし、「百合図」はこの人物の画家としての力量を見直させる佳作だった。
黎明期の洋画家として抜群の技量を示した百武兼行の実作を目にできる機会は少ない。この会場に「ブルガリアの女」があるだけでも凄いのだが、三年前に高岡市内の個人宅で“発見”された、あの少女像が特別出品され、両作品を並べて鑑賞できるなど、まさに感涙ものだ。高岡市美術館の藤井素彦主任学芸員の地道な調査によって世に出たこの作品は、小品ながら素晴らしい輝きを放っていて、まさに富山県の宝であろう。
国沢新九郎や川村清雄ら、百武と同様に明治初期に留学して洋画の技術を日本にもたらした画家たちの作品も珍しく、名を挙げだせばきりがないのだが、小山正太郎中村不折などの作品はさすがに技術もたしかで印象に残った。
最後の一室は文展開設前後の洋画界の状況を示し、藤島武二「ヴェニス風景」は素晴らしかったし、黒田清輝和田英作らの作品も、日本の洋画界を導いていく力量を感じさせた。
夭折の天才、青木繁の作品も当然希少だが、「二人の少女」はプレ文展となった明治40年の東京勧業博覧会で「わだつみのいろこの宮」が三等賞に終わり、失意の中で描かれた作品。驚いたのは、この会場では青木の傍らに満谷国四郎の「かりそめの悩み」の姿があったことで、この作品こそは、東京勧業博覧会で一等賞を受賞した作品ではなかったか。
この会場に静かに漂っているのは、激動の時代の中で新芸術の創造に向かっていった画家たちの、秘められたドラマの数々である。いずれの作品にもさまざまな制作背景が想像されて、胸の高鳴りを抑えられない。
個人コレクションの性格上、明治の洋画史を語るには欠けている名前(例えば工部美術学校で浅井忠らを教えたフォンタネージなど)があるのはやむないが、めったに目にできない希少作の数々は、それを補って余りある。
明治維新、敗戦に続いて、現代は再び時代の変革期を迎えつつあると言われる。明治の洋画は新芸術が創造される瞬間の熱量を帯びており、キレイゴトには留まらないエネルギーをわれわれに伝えてくる。趣味の如何を問わず、一見の価値がある展覧会である。