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富山県立近代美術館移築設計/提案競技で13年度内委託 | 建設通信新聞
消えないうちにメモ

富山県立近代美術館移築設計/提案競技で13年度内委託
【延べ約1万?、事業費50億超】
 富山県は、移転新築を計画する県立近代美術館について、2013年度内に公募型プロポーザルで施設設計業務の委託先を決定する方針を明らかにした。具体的なスケジュールは所管課(県文化振興課)で今後検討するが、実施要領は今秋にも公告し、14年1、2月をめどに最優秀者を特定する見通しだ。
 県立文化施設耐震化・整備充実検討委員会(高木繁雄委員長)がまとめた新県立近代美術館(仮称)基本構想の最終報告によると、規模は延べ9750?を想定。現施設で課題となっている躯体、設備の老朽化、展示・保管機能の狭あい化を解消するとともに、アトリエやギャラリーを新たに設け、アートを通して県民の創造性、人間性の育成に寄与していく。
 建設地は富岩運河環水公園内(富山市湊入船町)が望ましいとしている。
 同課では最終報告を踏まえて、県の考え方などを盛り込んだ基本計画を改めて作成する。その後、設計の発注手続きに移るという。担当者は「設計や建設工事にかかる年次計画は現段階で未定」と話している。総事業費は52億−57億円を見込んでいる。
 現施設の規模は、RC一部S造地下1階地上3階建て延べ8195?。設計担当は日本総合建築事務所(現日総建)。施工(建築)は佐藤工業清水建設・近藤建設JVが担当した。竣工は1980年11月。
[ 2013-09-10 7面 面名:中部・北陸面]

立方メートルが文字化けしてる。
住所は湊入船町になるのかなぁ。富岩運河環水公園の住所なら湊入船町だけど、報道されている「見晴らしの丘」のあたりだと木場町になるような気がする。

瀧口コレクションについて、今日ある人と話して思ったこと

戦後の日本の現代美術のありように関心を持つ人にとって、ほとんど自明のものである瀧口修造の業績だが、それを門外漢に分かるように紹介する方法は、どのようであるべきなのか。
富山県立近代美術館には、瀧口の書斎に置かれていた内外多くの美術家から贈られた作品のコレクションが収蔵されている。
もちろん、その小さな展示室に最低限の解説文と瀧口の年譜は置かれており、大きな作品はほとんどないが、とても不思議なオブジェたちはそれぞれの物語を内に秘めて、きわめて魅力的だ。
瀧口という人は、「芸術の生まれる瞬間」に深くこだわったのだと思う。
額縁に納められているから「絵画」であるとか、台座に置かれているから「彫刻」であるとか、そのような見方を退けただけでなく、「絵画」とか「彫刻」とか名指された瞬間に逃れ難く付きまとう先入観から、いかに芸術そのものを解放するのかということに、徹底してこだわりぬいた人だったのだと思う。
であるから、瀧口の業績について、くどくどとした解説文を付して語ろうとすることには、大きな抵抗がある。その抵抗感は、大事なものとして心のどこかにとどめ置くべきものだ。
ただ、その考え方を徹底するのであれば、本来あらゆる作品について解説文を付すべきではないということになるまいか。瀧口コレクションだけを例外とすべき理由は何か。
解説文を付したくないのは鑑賞者に、先入観を持たずに作品の放つアウラとじかに向き合ってほしいからだが、なにがしかの既成観念を持たずに作品と向き合える人が実際どれだけいるだろう。
既成概念にとらわれずに作品とじかに向き合うことには、残念ながら多少の訓練がいるのが現実だ。それもまた瀧口コレクションに限ったことではない。
瀧口コレクションというのも、個々にはそれぞれの作家の作品であって、ひとつひとつと誠実に向き合えば、それぞれについて鑑賞者の持つであろう先入観を取り除くためのヒントとしての解説文を付すことは、不可能ではないはずだ。
ただそれが、かの詩人ほどの卓越した感覚を持ちえない平凡な学芸員には困難に思えてしまうのは、「瀧口コレクション」という全体が、瀧口修造という人のひとつの作品というべき性格を持っているからなのかもしれない。
その畏敬に似た思いもまた、大切なものだと思う。おそらくそれは瀧口コレクションに限らず、すべての作品と向き合い、鑑賞者と作品との仲立ちを果たそうとするときに、美術館人がけっして忘れてはいけないものだ。
美術館が作品の墓場となることを、瀧口は危惧した。それを退ける美術館の存在意義があるとすれば、鑑賞者と作品とが出会った瞬間に新たに生まれ出るもの、それそのものが芸術だということしかあるまい。
その一刹那一刹那の出来事を、無限に繰り返す生成の場であり続けること。瀧口の魂の分身であるコレクションを預かる美術館として、偉大な先人への畏敬を常に持ちながら、鑑賞者と作品との出会いをどう仲立ちすべきなのか、思考停止せずに模索し続けていかねばならないと思う。

「アール・ブリュット」について

米田昌功さんから、滋賀でのアール・ブリュットについての取り組みの資料をもらったので目を通す。
「作品」なのか「作家」なのか。そこにはアートの本質について考える切り口があると思うのだが、丁寧に、慎重に、触れていかなくてはいけないのではないか、と思わずにはいられない。ジャーナリスティックに取り上げられがちであるから、なおさらだ。
一方で、富山の作家たちの手づくりの展覧会である「太閤山ビエンナーレ」では、なんら特別視されることなく荒見さんや村中さんの作品が受け入れられていて、これこそが本来あるべき姿ではないのか、と考える。
福祉という観点を離れて、芸術という観点のみから見れば、作者の手を離れた瞬間から作品は自律しているものだ。少なくとも近代芸術の考え方の原理はそうである。やや楽観的だが、一般の観衆の視点を含め、富山の状況は、かなりその原理に迫ってきているのではないかという印象もある。
ただ「そうは言っても、作者の文脈から完全に自由になれる作品など現実にはない…」云々、といった現代アートの理屈で、「作品でもなく作者でもなく現象として見ることこそが現代的な…」云々、といった混ぜっ返しが入ってくると、話は複雑化する。私の頭が悪くてそういう理論が分からないだけなのかもしれないが、どうも「為にする」議論もときどき混ざっているような疑念が私にはぬぐえない。
実際に「アール・ブリュット」のアーティストたちに会ってしまえば、福祉などという大げさな話以前に、人間的な「情」が絡んでしまいがちになるのだが、私のような立場はそうしたものから徹底して自分をひきはがし、自律した作品として見つめる努力をしなければならないのだろう。そして言うまでもないが、彼らの作品はそうした観点でみた場合にも、すごい魅力を放っているのだ。
今、富山でどのような取り組みが必要なのか。また「覇気がない」とか言われそうであるが、私はこれからも丁寧に、慎重に、考えていきたいと思っている。間違っているだろうか。

作品の「よさ」や「美しさ」について小学校の先生方とお話ししていて

平成20年に改定され、平成23年から全面実施されている学習指導要領について、先生方とお話しする機会が近ごろ多い。
小学校学習指導要領解説 図画工作編(PDF)

21 世紀は,新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す,いわゆる「知識基盤社会」の時代であると言われている。このような知識基盤社会化やグローバル化は,アイディアなど知識そのものや人材をめぐる国際競争を加速させる一方で,異なる文化や文明との共存や国際協力の必要性を増大させている。このような状況において,確かな学力,豊かな心,健やかな体の調和を重視する「生きる力」をはぐくむことがますます重要になっている。

「改定の経緯」の冒頭には、こう記されている。「異なる文化や文明との共存」、「豊かな心」、「生きる力」などの言葉に美術館が学校教育と連携して取り組むべき課題が見えそうに思う。
こうした目的を踏まえた図画工作科の改定の基本方針では、

  • 創造することの楽しさを感じるとともに,思考・判断し,表現するなどの造形的な創造活動の基礎的な能力を育てること
  • 生活の中の造形や美術の働き,美術文化に関心をもって,生涯にわたり主体的にかかわっていく態度をはぐくむこと

という2点を重視することが真っ先に掲げられる。後者の「鑑賞」にかかわる部分が新たに強調されている部分であり、先生方が戸惑っていると多く聞かされる部分であり、これこそ美術館が学校教育と連携して取り組むべき課題だろう。
このあたりのことまでは、先生方とお話をしていても共感が得られる部分だ。一方で、私の思うところを申し上げると、かなり怪訝な顔をされることも実はある。

よさや美しさを鑑賞する喜びを味わうようにするとともに,感じ取る力や思考する力を一層豊かに育てるために,自分の思いを語り合ったり,自分の価値意識をもって批評し合ったりするなど,鑑賞の指導を重視する。

近ごろ、美術館を訪れる子どもたちと話す機会を与えられた場合に、私は必ず「美術館に飾られている作品には、きれいだな、すてきだな、楽しい気持ちになるな、という作品ばかりではないこと」の意味を伝えようと努めている。

  • みんな、毎日楽しいことばかりじゃないよね。今日はちょっと悲しい気持ちというときも、さびしい気持ちのときもあるよね。そういうとき、楽しい作品、明るい作品、元気な作品ばかりだったら、逆にもっとつらくなってしまうかもしれない。
  • 美術館には、人間が生きている中で味わう、いろいろな気持ちを表現した作品があります。明るい気持ちのときは明るい作品を見たいかもしれない。でも、悲しい時に見ると「あれ、この作品いいな」と気づく作品があるかもしれません。さびしい気持ちのときに見て「あ、この作品が今の気持ちにビビッとくる」という出会いがあるかもしれない。
  • 「いいな」と思う作品は、明日見たらまた違うかもしれない。それがみんな生きているってことで、そういういろんな作品にいろんなよさがあるということを知ってほしいと思います。

だいたい、そんな話をする。
これを実際に展示室で作品を見ながら子どもたちに話していて、うまく通じなかった気がしたことはあまりないのだが、「鑑賞」についての一般論として先生方と話していると、怪訝な顔を通り過ぎてハッキリと違和感を示されることもある。
それについて先生方は、「鑑賞の能力に関する目標」が小学校では、

  • 身の回りの作品などから,面白さや楽しさを感じ取る。 (低学年)
  • 身近にある作品などから,よさや面白さを感じ取る。 (中学年)
  • 親しみのある作品などから,よさや美しさを感じ取る。 (高学年)

となっているので、友だちの作品のよさを分かればよいので、美術館の作品は子どもにはまだ難しいのだ、ということを言われる。
そうなのだろうかと思って指導要領を読み返していたが、やはり「よさ」についての考え方に溝があるのではないかと感じられてならなかった。

情操とは,美しいものや優れたものに接して感動する,情感豊かな心をいい,情緒などに比べて更に複雑な感情を指すものとされている。
図画工作科によって養われる「情操」は,よさや美しさなどのよりよい価値に向かう傾向をもつ意思や心情と深くかかわっている。それは,一時的なものではなく,持続的に働くものであり,教育によって高めることで,豊かな人間性をはぐくむことになる。

たぶん「よりよい価値に向かう傾向」というのが難しいところだ。
小学校の教室に行けば、「元気に」「明るく」といった標語がいたるところに掲示されている。それ自体を悪いことだとは思わない。子どもたちにはそういうふうに育ってほしいと私だって思う。
でもすべての子が、毎日いつも「元気に」「明るく」いられる世の中ではないだろう。それが理想として示されている間はいいのだけど、その規範からはみ出してしまった子の居場所がなくなるほどにまでは、大人の願望を子どもに押し付けてはならないのではないかと思う。
もちろん、先生方はそんなことはないと思う。ただ、元気のない子、暗さを帯びた子、そういった子の自己表現の中に込められた悲しい気持ちやさびしい気持ちにも気づき、共感できる想像力を持つことも大事な情操であり、それこそが子どもたちが複雑化する社会の中を「生きる力」になる、豊かな人間性ではないかと思うのだが、そのことはやや軽んじられていないだろうか。
実は、美術館で作品を楽しむことがあまり得意ではない多くの大人も、「美術館に飾られている作品には、きれいだな、すてきだな、楽しい気持ちになるな、という作品ばかりではないこと」が受け入れられない人が多い気がしている。
21世紀の社会を生きていくために「異なる文化や文明との共存」というのは、よけて通ることができない課題だと思うのだが、教え込まれた単一の価値観を反復強化することだけを好み、多様な価値観との出会いによってみずからの感性を広げることを嫌がってしまう人たちが少なくないのだ。
こういう話を先生方とするのも、自分の価値観のあり方について考えるよい機会だと思う。すぐに同意に至れる部分と、なかなか賛同を得られない部分があって、しかし、そういうコミュニケーションを積み重ねていくことこそが本当に大事なことなのではないかと思うようにしていきたい。

建設通信新聞の記事

http://www.kensetsunews.com/?p=15390

建設通信新聞の記事。消えないうちにコピペしておく。

富山県/13年度末までに報告書/近代美術館移築で部会
 富山県は26日、有識者らで構成する第1回県立近代美術館移転新築部会を富山市富山県民会館で開く。会合では新施設の規模や機能、建設地などを盛り込んだ報告書を2013年度末までにまとめる方針だ。
 同部会は、上部委員会である県立文化施設耐震化・整備充実検討委員会(高木繁雄委員長)の意向を受けて設立する。そのため、報告書は最終的に同委員会で了承を求めることになる。
 当日の議事では、部会長を選任するほか、事務局が協議の進め方、先に設置している整備検討庁内プロジェクトチームの役割などを説明する。
 文化振興課では、「日程を調整しながら、定期的に会合を重ね、できるだけ早い段階で報告書を固めたい」考え。その後、同県としての方向性を明確に打ち出し、事業の具体化を図っていくとしている。
 現美術館の規模は、RC一部S造地下1階地上3階建て延べ8180?。設計担当は日本総合建築事務所(現日総建)。施工(建築)は佐藤工業清水建設・近藤建設JVが担当した。
 竣工は1980年10月。当時の総工費は21億7400万円だった。
 所在地は富山市西中野町1−16−12。
[ 2013-06-26 8面 面名:中部・北陸面]


竣工時の総工費を取り上げているのが建設通信新聞らしい観点。