motowakaの備忘録

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作品の「よさ」や「美しさ」について小学校の先生方とお話ししていて

平成20年に改定され、平成23年から全面実施されている学習指導要領について、先生方とお話しする機会が近ごろ多い。
小学校学習指導要領解説 図画工作編(PDF)

21 世紀は,新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す,いわゆる「知識基盤社会」の時代であると言われている。このような知識基盤社会化やグローバル化は,アイディアなど知識そのものや人材をめぐる国際競争を加速させる一方で,異なる文化や文明との共存や国際協力の必要性を増大させている。このような状況において,確かな学力,豊かな心,健やかな体の調和を重視する「生きる力」をはぐくむことがますます重要になっている。

「改定の経緯」の冒頭には、こう記されている。「異なる文化や文明との共存」、「豊かな心」、「生きる力」などの言葉に美術館が学校教育と連携して取り組むべき課題が見えそうに思う。
こうした目的を踏まえた図画工作科の改定の基本方針では、

  • 創造することの楽しさを感じるとともに,思考・判断し,表現するなどの造形的な創造活動の基礎的な能力を育てること
  • 生活の中の造形や美術の働き,美術文化に関心をもって,生涯にわたり主体的にかかわっていく態度をはぐくむこと

という2点を重視することが真っ先に掲げられる。後者の「鑑賞」にかかわる部分が新たに強調されている部分であり、先生方が戸惑っていると多く聞かされる部分であり、これこそ美術館が学校教育と連携して取り組むべき課題だろう。
このあたりのことまでは、先生方とお話をしていても共感が得られる部分だ。一方で、私の思うところを申し上げると、かなり怪訝な顔をされることも実はある。

よさや美しさを鑑賞する喜びを味わうようにするとともに,感じ取る力や思考する力を一層豊かに育てるために,自分の思いを語り合ったり,自分の価値意識をもって批評し合ったりするなど,鑑賞の指導を重視する。

近ごろ、美術館を訪れる子どもたちと話す機会を与えられた場合に、私は必ず「美術館に飾られている作品には、きれいだな、すてきだな、楽しい気持ちになるな、という作品ばかりではないこと」の意味を伝えようと努めている。

  • みんな、毎日楽しいことばかりじゃないよね。今日はちょっと悲しい気持ちというときも、さびしい気持ちのときもあるよね。そういうとき、楽しい作品、明るい作品、元気な作品ばかりだったら、逆にもっとつらくなってしまうかもしれない。
  • 美術館には、人間が生きている中で味わう、いろいろな気持ちを表現した作品があります。明るい気持ちのときは明るい作品を見たいかもしれない。でも、悲しい時に見ると「あれ、この作品いいな」と気づく作品があるかもしれません。さびしい気持ちのときに見て「あ、この作品が今の気持ちにビビッとくる」という出会いがあるかもしれない。
  • 「いいな」と思う作品は、明日見たらまた違うかもしれない。それがみんな生きているってことで、そういういろんな作品にいろんなよさがあるということを知ってほしいと思います。

だいたい、そんな話をする。
これを実際に展示室で作品を見ながら子どもたちに話していて、うまく通じなかった気がしたことはあまりないのだが、「鑑賞」についての一般論として先生方と話していると、怪訝な顔を通り過ぎてハッキリと違和感を示されることもある。
それについて先生方は、「鑑賞の能力に関する目標」が小学校では、

  • 身の回りの作品などから,面白さや楽しさを感じ取る。 (低学年)
  • 身近にある作品などから,よさや面白さを感じ取る。 (中学年)
  • 親しみのある作品などから,よさや美しさを感じ取る。 (高学年)

となっているので、友だちの作品のよさを分かればよいので、美術館の作品は子どもにはまだ難しいのだ、ということを言われる。
そうなのだろうかと思って指導要領を読み返していたが、やはり「よさ」についての考え方に溝があるのではないかと感じられてならなかった。

情操とは,美しいものや優れたものに接して感動する,情感豊かな心をいい,情緒などに比べて更に複雑な感情を指すものとされている。
図画工作科によって養われる「情操」は,よさや美しさなどのよりよい価値に向かう傾向をもつ意思や心情と深くかかわっている。それは,一時的なものではなく,持続的に働くものであり,教育によって高めることで,豊かな人間性をはぐくむことになる。

たぶん「よりよい価値に向かう傾向」というのが難しいところだ。
小学校の教室に行けば、「元気に」「明るく」といった標語がいたるところに掲示されている。それ自体を悪いことだとは思わない。子どもたちにはそういうふうに育ってほしいと私だって思う。
でもすべての子が、毎日いつも「元気に」「明るく」いられる世の中ではないだろう。それが理想として示されている間はいいのだけど、その規範からはみ出してしまった子の居場所がなくなるほどにまでは、大人の願望を子どもに押し付けてはならないのではないかと思う。
もちろん、先生方はそんなことはないと思う。ただ、元気のない子、暗さを帯びた子、そういった子の自己表現の中に込められた悲しい気持ちやさびしい気持ちにも気づき、共感できる想像力を持つことも大事な情操であり、それこそが子どもたちが複雑化する社会の中を「生きる力」になる、豊かな人間性ではないかと思うのだが、そのことはやや軽んじられていないだろうか。
実は、美術館で作品を楽しむことがあまり得意ではない多くの大人も、「美術館に飾られている作品には、きれいだな、すてきだな、楽しい気持ちになるな、という作品ばかりではないこと」が受け入れられない人が多い気がしている。
21世紀の社会を生きていくために「異なる文化や文明との共存」というのは、よけて通ることができない課題だと思うのだが、教え込まれた単一の価値観を反復強化することだけを好み、多様な価値観との出会いによってみずからの感性を広げることを嫌がってしまう人たちが少なくないのだ。
こういう話を先生方とするのも、自分の価値観のあり方について考えるよい機会だと思う。すぐに同意に至れる部分と、なかなか賛同を得られない部分があって、しかし、そういうコミュニケーションを積み重ねていくことこそが本当に大事なことなのではないかと思うようにしていきたい。