『黒田清輝日記』に現れる五島健三
WEBで公開されている分ぐらいは早々にやらねばならないと前から思っていたので、ちょっと手をつけてみます。
KURODA MEMORIAL HALL^c´PúL
こちらのアーカイブからgoogleで「五島」をサイト内検索した結果*1をただメモして、年代順に並べ替えていきます。*2
1914(大正3)年
【1914.01.23】再ビ櫻島ヘ赴ク 同行十一名ナリ 此連中〓茶ト云フ旗亭ニ於テ晩餐會ヲ催ス 十時使ニ接シ出席 午前一時ニ至レリ 櫻島同行者 堺 國友 五島 山下 岩山 大牟禮 梅北 杉本 外ニ有盈及敏子
- 五島は1913(大正2)年、鹿児島県第一師範学校に赴任していました。
- この年1月、鹿児島へ帰省中だった黒田は桜島の爆発に遭遇し、『桜島爆発図』を残しています。
【1914.05.17】午前鹿兒島師範ノ五島子本年東美校卒業ノ遠山 長崎二子同伴來訪
【1914.06.10】夜五島 鈴木二氏來レリ
1915(大正4)年
【1915.07.25】夜下記ノ訪客ニ接ス 折井太市郎 岡本喜一 五島健三 堺宗 山内家〓浦某 油井忠助
【1915.07.26】三時頃五島子ノ作品ヲ觀ル
【1915.08.07】五島 平井 關屋等來訪
- 五島は師範学校の夏休みを利用して上京したのでしょうか。この年、短期間に3回黒田に面会しています。
1918(大正7)年
【1918.07.27】夜鹿兒島ヨリ上京セル五島説〓聽聞ノ大圖ヲ持參シ批評ヲ乞ヘリ
- この作品は、第12回文展入選作「聽聞の衆」のことではないかと思われます。
【1918.08.23】午前十時頃五島健三江ノ島行ノ途次歸任ノ暇乞旁來訪 午餐ニ留メテ午後一時半頃去レリ
1919(大正8)年
【1919.07.30】午後一時半頃ヨリ三時頃迄ノ間ニ於テ早崎〓吉君及ビ鹿兒島ヨリ上京ノ五島氏ヲ引見ス
1920(大正9)年
【1920.07.04】税所子爵ヘ學生ノ件ニ付返事 五島健三ノ書〓ニ就テ
検索結果でこれは違う「五島」だろう?と思ったものは下記。
【1912.08.26】午後五島氏ノ肖像ヲ描ク
【1914.06.21】又歸宅後久米民之助氏及同氏ノ女婿五島慶太氏ニ面接
ちなみに元のアーカイブで「〓」(たぶんWEBで表記できない文字)の部分はそのままです。すみません。