motowakaの備忘録

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門嶋政巳 ―みずみずしく残酷な視覚―

門嶋政己さんの個展が富山県民会館美術館で開催されています。
画集に書かせていただいた文章をブログに掲載しておきます。


門嶋政己の作品は、初期のものであれ後年のものであれ、なんとも名指しがたい感覚をひきおこす。ひとまずわからないものは怖いというところか。
彼の絵画は一貫して水彩だが、高校生時代の作品から絵肌に対する独特の感性があり、『住い(内川)』を見れば、描かれたイメージ以上に画面全体の質感が、体覚的なざわめきを呼び起こす。描かれる対象との距離感にも特異さがあり、『住い』では画家の感覚の中にすっかりと呑み込まれた対象を、われわれは内側から見ているかのようだ。建物は、奥行きのある空間であるより以前に、ひとつの触覚的な質としてそこにある。

全国規模の展覧会としては、1960年の初入選以来、門嶋は水彩連盟展に継続して出品し、同郷の森弘之らの知遇を得て、影響を受けたようである。1963年から数年間は自由美術協会展にも出品し、この頃から画風の抽象性を深める。「前衛の季節」と言われた1960年代に門嶋も無関心ではいられなかったが、独特な絵肌の感覚はまったく地続きとなっており、対象を描かなくなったことに大きな違和感はない。
幾何学的な抽象画かと見まがう『祈り』の連作はよく見ると、円には顔や、か細い脚のようなものもあって、ミロの作品にも似た寓意がある。だが、この方向性は門嶋の中で定着せず、『街』では物質性そのものに関心が向けられている。対象も、物語性も消失した中では「地」と「図」の関係、すなわち画面の構成(コンポジション)がきわどい均衡を見せている。『石の花』では色彩も情感豊かである。
そして門嶋はここにも留まらず、1968年の『風葬』の連作では、さらにコンポジションをも排して全面を均質な表現が覆う“オールオーヴァー”な画面へと進んでいく。

“質”に対する優れた感覚は画業のはじめ以来の門嶋の特長だが、ここまではそれ以外の絵画要素をひとつひとつ、そぎ落としてきた過程だった。京都西方郊外の化野(あだしの)は古くは風葬の地として知られ、今日の念仏寺には多数の石仏、石塔が林立している。「あだしのシリーズ」は、その霊的な場にインスパイアされて1970年代前半に門嶋が取り組んだものだが、石仏が画面全体に密集する『あだしのシリーズ・哀』に対し、翌年の『あだしのシリーズ・風葬』では形象はほぼ消失している。風葬とは死者を埋葬せず野ざらしにして風化させる葬法で、平安時代の京都では皇族や貴族だけが火葬や土葬をされ、多くの民衆は郊外に風葬されていたという。このシリーズでは“かたち”が消えていく場という点で、画題の意味するものと、絵画上の展開とが重なり合っており、見ごたえある連作となっている。

1974年から門嶋は独立美術展にも数回作品を出品する。引き続き石仏を主に描きながら、オールオーヴァーな表現に代わって「地」と「図」の関係がふたたび画面にあらわれているのは、絵画的には大きな転回である。『祭人(祭のあと)』の呪術的なイメージから、『千手』、『誕生』など有機性、生命感を追求していく方向へ門嶋は向かうが、『おとこ』、『おんな』、『ひとり』などの不穏な印象を与える作品群の画面は、イメージの密度がひとつの質に転化しており、緊張感が高い。
1985年に門嶋は水彩連盟を退会し、1997年までの約12年間「制作を中止」している。画家として脂ののりきったこの時期に、彼が長期にわたり画業から遠ざかった理由を詳しくは知らない。一般論だが絵画の制作は、技術だけで続けられるものではなく、描く必然、描きたい何かを探し続けるのには、画家自身の立場にならねばわからない高度な集中力が必要なのだ。

門嶋は1998年に長く勤めた大阪税関を退職して制作活動を再開し、2002年にはふるさとに戻ってきた。再開後の作品を見ていくと、画面の質と心象的なイメージという二つの方向性は、引き続き画家の中でせめぎ合っているようだが、内へ内へと息をつめて収斂していく感のあった制作休止以前の作品に比べ、『十字路』に見られるように、外部に開かれた自然な呼吸の中でかたちが探されはじめている印象は、好ましい変化と思える。
『越の国シリーズ 北の街』の画面はパウル・クレーを連想させる。『月天心』は月が中天に輝くさまを示す秋の季語をタイトルとしているが、伸びやかなものに感じられる。『緑の街』は門嶋の画業の中でこれまでになかった穏やかな印象を残し、ステンドグラスを思わせる『放生津シリーズ 窓』は、光にあふれている。ふるさとの風土は、画家に影響を与えずにはおかないものであり、一度この地を離れて帰ってきた門嶋には、なおさらのものがあったのだろうか。
『衆生』とは「生きとし生けるもの」という意味だが、オールオーヴァーに画面を覆った絵肌とイメージの密度は、若き日とは違った親密さを見せており、70歳を過ぎた画家の円熟を思わずにはいられない。

このたび門嶋は、これまでの画業を集大成した個展の開催に合わせ、自選画集を製作するのだという。彼の作品をはじめて見た時のなんとも名指しがたい感覚は、画業をたどる中で、いつまでも少年のようにビビッドな画家の感性に由来するものに思えてきた。少年の日の無邪気さは残酷なものに感じられることもあるが、感性のままに画面に向かうらしいこの画家の制作は、円熟期を迎えていよいよ味わい深い。うまく言葉にはできないその怖さと面白さを、多くの人に感じていただきたい。